フィリピン入江先生、URCC出場!!

2017年01月26日

長らく共にカブヤオ道場にて切磋琢磨してきた同僚の入江先生がフィリピン最大の総合格闘技団体であるURCCに出場することになりました。URCCは2002年に立ち上げられた団体で、日本の団体を除けばアジアで最も長い期間に渡って開催されている団体です。
フィリピンのNo.1テレビ局であるABS-CBNがスポンサーに付き地上波でライブ中継されております。さらには国内有数の娯楽業であるリゾートワールド、今回はパグコールカジノと提携したりと国内No.1の座を不動のものにし、15年目にしてさらに勢いづく。最近は勢いに乗って海を飛び越えサンフランシスコで興行を開催。
かくいう私森川はこの勢いに乗る前にひっそりとチャンピョンにならせてもらい、そして大勢の注目が集まる中陥落しました。笑
脱線してしまいましたが、フィリピンでの最大の娯楽はやはりテレビ放送。人口1億人になる国の地上波ゴールデンタイムでやる団体に参戦すること、これだけでも凄いことだと思います。

実は私と入江先生はフィリピンで一緒に働く前、禅道会の広島道場時代からの付き合いなのですが、当時や一緒に働いてきて見てきた彼、働いてる中で彼から聞かせてもらってきた彼の過去を思うと本当に感慨深い思いがあります。

きっと大勢の人に興味を持ってもらえ、また応援したくなるであるであろう彼の半生を、長くなってしまいますが書かせてもらおうと思います。
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彼は広島県の片田舎、大竹市の山奥栗谷町にて生まれました。
小学校の同級生は7人、近所は100m以内にない本物の田舎。
山という子供にとって絶好の遊び場であるにも関わらず小さい頃から外で遊ばず家でゲームばかりしてるもやしっ子。友達皆が山で走り回って、登ったり飛び降りたりするのを怖くて体操座りで眺めているような子でした。
中高生になった時にはテニスやバスケをやってはいたんですが、体を使い遊んで来なかったために体力が無い上、蹴れば飛びそうな160cm46kgの小ささで身体にも自信が持てず余り陽の目を浴びずに生きて来たと本人は語っていました。

部員人数が5人と、一人でも欠場すれば代わりのいないバスケ部で彼は主将を務めており、本屋に行ってバスケ関連の本を読み漁り、体格だけでなくチーム事情にも恵まれていない状況を良くしようと練習方法を模索するなど、人に見られない所で努力を重ねる男でもありました。

しかし体力に自信がなく、シャキッとした雰囲気がない彼に不安を持ったのか、両親は彼に世の中や社会の厳しさ、手に職を持つことや安定した仕事を得る事、しっかりとした学歴を持つべきだと常に口にしていたと言い、
美術やアート好きで、人の髪も切る事も好きだった少年入江。高校生になりフッと芽生えた美容師になりたいという彼の希望ですが、予想通り両親に断固反対されてしまいます。毎年全国で何千人もの卒業生を出す美容師学校。しかし数年後美容の現場に残っているのは10数パーセントとも言われる厳しい世界ですから、両親の心配も分かります。
そうだな、厳しいんだな、、サポートしてくれるのは親だしな、、と自分を大学に行かせてくれる為にキツイ仕事に耐える両親を思い、自分を納得させ親の希望に添おうと勉強に励み、見事受験をパスし大学へ進学。
しかしやはりどこかで自由な進路を選ばせてもらえなかったという思いは消えることはなく、希望を抱き進んだ道というよりも、閉塞感や焦燥感で選んだ道の為に虚しさを拭い去ることが出来す、受験で燃え尽きてしまった事と世界が広がった事により彼は大学で遊びに走るように。両親への拭いきれない反抗の気持ちと社会の閉塞感から、その頃から最近まで世の中に怒りをぶつけるようなアーティスト、バンドばかりを聞いていたようです。

田舎から出てきた彼の大学生活は一気に世界が広がり、当初は人に馴染めず、男の人が強いなどと言い、女の子とばかり一緒に居たようです。ある日の昼食では彼1人に対し女の子20人の優雅な光景もあったようです。ちなみにその頃その状況を見た他生徒は彼を"王子"と呼んでいたそうです。笑
徐々に男の友人も出来きそんな状況からは脱却したようですが、元よりそんなに広く人と付き合うタイプではないので知り合い軽い付き合いの人間が多く、友人と呼べるのは数少なかったようです。その友人達と親に迷惑を掛けない範囲で遊び倒し、学業は適当に落第しない程度に取り組みに過ごしていました。
ただ四年になった時、小さな頃からこれまで植え込まれた将来不安が疼いたのか、"就職はしよう"と割と早くから就活に取り組みだす。

親の言うようにやはり厳しく何社か落ちていくが、面接を重ねるうちに自分と同じようにちゃらんぽらんに過ごしていた同級生達が面接で急に好感度なヘアスタイルになり、作り笑顔、シャキッとして"私は御社に~と上辺の意気込みを語る姿に嘘つけよ、と嫌悪感を覚えるようになった彼は、ある集団面接中に自分に意見を振られた際、溜め込んだ怒りが爆発し遂に面接官に「もういいです、僕こんな奴らと違うんで」とモラトリアム全開な言葉を言い放ち、(当然落ち)そこから就活をボイコット。

両親もただ事ではない彼の様子を見て、それまで不安を煽るようなことばかり言い進路も希望通りしなかった事での反発か、、と責任を感じてなのか大丈夫か?と心配はすれど厳しくは言わなかったそうです。

大学四年生、この時7月。バイトしながら過ごしていた彼は、このままフリーターかな、、でもやっぱり不安だな、、などと考えていたある日、バイト先で入ってきて、仲良くなった人がたまたま格闘技道場の代表の奥さんで、ある日その人の勧めで道場へ見学に行くことに。
それが禅道会と彼の出会いのキッカケでした。

これまで書いてきた通り、格闘技とはまるで縁のない生活・人生を送ってきた為始めは彼も絶対に入らない、見るだけ!と念を押し、怖がっていましたが当時の代表、現心技道場代表の秋山賢治先生は指導もそうですが人を褒める事が圧倒的に上手く、ちょっと打ってみなよとパンチングミットを打たせ、テニスをしていた為か腕を振る感覚がついてた彼をベタ褒め。この時期就活で腐される事はあっても褒められる事は無かった彼もおだてられ気を良くし、試合も何もしないフィットネス的なものなら、、と何と入会を決意。
後から聞くと道場の雰囲気が良かった事や代表の指導が弱い自分でも強くなれそうな、希望を感じた事が大きかったそうです。

しかし、ここからが計算外なのですが、
秋山先生の弟さんに気に入られたのか目をつけられたのか、格闘技初めて試合しないとかあり得ないだろうと繰り返し脅迫に近い?説得をされ、入門して1ヶ月でまさかの全国大会に放り込まれ、当然何も出来ず完敗。(遠征費3万円)
私森川はこの時の大会にも一緒に参加。僕に試合はしたくないですねーと語っていた彼が試合に出ており、しかも涙を流している姿を見て、"辞めるな、、、"と感じたのを記憶しております。笑 ちゃんと励ましましたよ。
しかも大会までに筋トレして55kgまで増やそう(+9kg)出来なかったらスクワット1000回だと言われ、断りきれず取り組むもほとんど増えず、焦った彼は漫画ろくでなしブルースで見たペットボトルで水を飲みまくっての増量法を最後の手段として軽量前に挑むも、途中で気持ち悪くなり撃沈。50kgまでしか増えず。
ちゃんとチャレンジしたし、許して貰えるんだろうな、、と考えていたら、
じゃあ1kg100回ねと500回やらされる彼、、。会費を毎月払うただの会員さんです。彼だけに起こった特例です。。念のため、、普通の会員さんは経験しないことです、、、念のため。。

何で試合なんかしたくないのにしなきゃいけなかったんだ!!ついでスクワットまで!
と冷静になり、もう嫌だとジムを辞めようと思ったようですが、
飴と鞭が上手な弟さん。"入江悔しかったな、俺も悔しかった。仲間の負けは本当に悔しい。このままじゃ終われないよな、次を考えよう"と上手くなだめられ、何故か二ヶ月後の地区大会にまた出場する事に。。。

客観的に見ると何故ここで試合に参加するのか。笑 
分からない人もいると思います。なんと説明すれば良いのかは分かりません。格闘技道場に限らず、習い事はそこに集まっている仲間に会いに行きたくて通う人も多いです。集まる人達は普通の高校生大学生、社会人、警察官や消防士、はたまた教員だったり製造業だったり、出身も年代も職種も全く違う人達が集まっています。皆バラバラでも共通するのはそれをする事が好きだということ。好きだし一つの事に取り組んでいると自然と仲間意識が高まり、話題も生まれます。格闘技だと体をぶつけ合うのでより距離が近くなるように感じられます。
10代の子達と30,40,または50代の人が練習後に語り笑いあう。
様々な年代の人が集まっても皆んな一生徒に戻って、ただ強く上手くなりたいという気持ちで取り組む。そんな嘘の無い前向きな雰囲気が彼には心地よく、もう一度やってみるか、、と余り自分の内面まで話をしたがらない彼ですが、そういう気持ちになったのでは無いかと自分は思っています。

二ヶ月後の大会を目指し、体格で大きく上回る先輩に練習で腹や頭を殴られ蹴られ、何度もノックアウトされ(普通はそこまでされません)、苦しい日々を経て迎えた地区大会。そこでまさかの一回戦突破、初勝利。彼自身感動したようですが、準決勝の相手が負傷で棄権しまさかの決勝進出。彼をはるかに上回る体格を持ち、他格闘技の経験もある選手だった為に顔面膝蹴りで二度のダウンを取られる完全KO負け。けどもこの時少年部の子供達が試合会場で彼がダウンするたびに"頑張ってー!!"と大声援を送っていました。体の小さな彼が頑張る姿はやはり多くの人に伝わるのでしょう。
準優勝という結果が残り、人に応援されるという事、努力は裏切らないと言うことを体感し、血と汗と涙を共有してきたジムの先輩仲間にも仲間意識が芽生えた彼。時は大学4年生12月でしたが、彼は現実を見ないようにより一層熱を入れバイトと格闘技という生活を繰り返していました。

心配した秋山先生、弟大作さんが彼を呼び出し、"現状やる事、やりたい事が見つからないなら、うちにいながら探したらどうだ"と、ジムの寮に寮生として入ることを勧め、いろいろ考えるも言われるようにやる事、やりたい事も遊びぐらいしかないと気づき入寮を決意。
この流れを思うと、他の人が一番自分を客観的に見ていて、自分の選択で上手くいかない時はその人のアドバイスを受け入れて見ることがとても大事なように思います。
秋山先生もそうですが、大作さんは無理難題を言っているようで、面白く強引に、入江先生が格闘技の道を進む大切な基礎を作ってくれたと振り返り思います。
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その後寮生として週6の練習とバイトの繰り返し、先輩に倒されるが必死に食らいつく、、という生活を送っていた彼。

しかし実力的にはまだまだ素人に毛が生えた実力なのは彼も分かっており、試合に出れば負けを繰り返し、ある時試合で頭から落ち、試合をする事にもトラウマを持ってしまうように。
本人も何の為に格闘技をやるのだろう。これからどうなっていくのだろうとまた将来についてを考え始めていました。現実から目をそらすようにパチスロや女性に没頭してしまう時期も。

禅道会は全国に支部があり、青少年健全育成にはかなり力を入れている団体です。周知の通り引きこもり・家庭内暴力児をケアする為の道場がフィリピン、カブヤオにあります。

この頃広島で行われた審査会の後、色々考え肩を落とす彼を一目見て、
"君、フィリピンに行ってみないか?"
と唐突に声を掛けた人物。そう、禅道会主席師範小沢隆先生です。

広島審査会にてよく見かける彼を気になり声を掛けたそうです。
そこで生徒の面倒を見ながら自分の練習をしてみないかと、直接先生から言われたことに青天の霹靂の彼。団体の長の誘い、、、これはしっかり考えねば、、、といきなりの誘いだったので心の準備や身の回りの準備が整わず、すみません、良いお話なのですが、仕事の関係があるので半年待ってくださいませんか?と答えると先生も快諾。

彼が格闘技を始める事になり、続けて行くにあたり奥様、秋山先生、大作さんと何人かのキーパーソンの方がいますが、最大のキーパーソンは小沢先生で、この一言が無ければ今の彼は無かったでしょう。
師は偉大なり。。

半年が経ち、タイへ移動となった最初の師、秋山先生と交代で広島に来られた、彼の第二の師である岩間先生を通じ小沢先生へ連絡。

岩間先生「先生、入江がフィリピン・カブヤオへ行くことを決意しました。これからご迷惑も掛けると思いますが宜しく御願い致します」
小沢先生「なんで入江が行くんだ?」
岩間先生「えっ」

忘れられていました。笑

すぐに思い出され彼にとって初めてとなるフィリピンに入国が決定。。笑
後から先生に聞いたところ、当時放っている雰囲気がただ事でなく、このまま日本の枠組みの中でやって閉塞感を感じるより一回外に出た方が本人の世界を広げる為に良いのでは、と思われたそうです。
と言っても当時は当然、移住する気はなく、あくまで宣言通り半年間帰るつもりでした。

私森川は彼の入ったばかりの最初の全国大会の後に直ぐフィリピンへ移ていたため、彼が負けて泣いていたイメージしか無かったので、それから人に又聞きする彼の現状からも、生徒のケアをする戦力としては全く考えていませんでした、、。むしろ彼にもケアがいると考えていたと思います。日本社会とは考え方も全く違う南国でリラックスして稽古に取り組んで、生徒と一緒に過ごして何か得るものがあったらいいな、、ぐらいに考えていました。
きっと、小沢先生も同じように思っていたと思います。忘れているぐらいですから。笑

空港で二年ぶりに再会した彼は、色々悩みを抱えていただけあって暗く見え、顔も青白く何か薄気味悪い雰囲気を放ち、"おおっと.....ヤバいのが来たな..."と私の不安を掻き立ててくれました。
昔から胃腸の弱かった印象の彼は予想通り?到着して直ぐに何かに当たったのか数週間寝込んでしまいます。海外に住むという本人の中では考えられなかった人生の選択をした初っ端にベッドの上で数週間過ごすという最悪のスタートを切った彼。

彼の性格を考えると、
俺、こんなんばっかし、、、
と落ち込んで絶望していたに違いありません。この時50数キロでフィリピン入りしていたのですが、回復する頃には45キロの格闘技を始めた頃よりも軽い体重になっていました。。。

これから大丈夫かな、期限より前に帰っちゃうんじゃないか、、と心配して言いましたが、容体が回復してくると部屋にいる生徒に現状の自分を自虐的に語り笑いを取り、これまでの自分の失敗談を語っていると気づけばあっという間に生徒達の人気者に。
堅物揃いだった当時の自分を含むスタッフ達には作れない笑顔が彼の周りにはありました。
これまで社会に対し閉塞感や怒りを持って過ごしてきたからか?同じ境遇の生徒の気持ちが分かる為か?
天職だと言っても差し支えのない馴染み方を見せた彼に私は当時の自分の考えを謝罪したいです。

そこから彼の帰る約束である半年が経つ頃には欠かせないムードメーカーになっていました。
必要不可欠の存在になった彼を僕は返したくなく、彼自身にも、日本の先生方にお願いし、ここにもう少し(感覚的には、2〜3年)居てくれないかとお願いしました。ちゃんと生活の手当ても出る形にお願いするから、、と言った私の話をはい。分かりました。。(やめてくれー!!!帰り辛くなる!!!!)と心で叫んでいたという彼。笑

彼はここで骨をうずめる気はなく、日本でやり残した事もあったようで色々考えていたのは伝わってきましたが、僕自身の経験上、ここに残る事が彼にとってもプラスになるのは間違いないと思いましたし、そうなるようサポートをしようと決意した次第でした。

決意を新たにしたあの日からもう7年。
順調に来たわけではありません。むしろ挫折の連続だったようにも思います。
様々な生徒との出会い、普通、、ではないですが割と普通に生きてきた我我には理解が難しい
生い立ちのを持つ子との接点、時にパンクしそうになりながら、道を見失いかけながら、日本の先生方方、特に小沢先生や石原先生の助言で何とか此処まで続け来ることが出来た、という感覚です。
格闘技をする者としても、よく軌道に乗り始めたと思うと脇道にそれ、迷い迷ってまたやる気を取り戻す、、近くにいる者としてもどかしく思う時間もとても長かった。
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格闘技をすることは好きで、自分をどうにか変えたい、変えられると信じたい。
けど自分は羊。結局ライオンには勝てないんです、、という彼の言葉に現れているように諦め、絶望感に似た葛藤と戦い続けてきた彼。
プロになるつもりも、なれるつもりだとも思っていなく、ただ現状より良くなるようにと時に自分よりも体格に恵まれた大きな生徒達に何とか負けないように続けているうち、段々と実力を付けてきました。
45キロだった体は55kgほど、筋肉量が多くかなりゴツくなっていました。

それでも自分自身が変われることが信じられないという気持ちが見え隠れし、一回の負けでどう思われるか分からない、悪い結果が出てしまうのが怖い、、と試合は本当にしたく無さそうでした。
しかし格闘技の先生という立場、何の為に日々鍛錬するのか、いつもいつも戦い続けるのは自分の精神の器的に無理。けど逃げちゃいけない時もあるんじゃないか、、

考えを巡らせ、覚悟を決めた彼は滞在から三年経った時、アマチュア総合格闘技の大会に挑戦を決めます。

最初から自信の無さそうだった彼、実際彼が強くなっている事は自分の体を通して分かりますし、同じ体格ならちゃんと実力が出れば負けないだろう、、ただメンタル的にどうか、、と思ったら開始早々直ぐさまタップを奪い一本勝ち!リング上で自分自身が一番驚いていたような顔でガッツポーズをする彼の顔を今でも忘れていません。涙腺がやられそうでした。

その試合が予選のようなものだったようで、一ヶ月半後の次戦はドライアイスのスモークが漂い、ライトアップされたリングで、プロのように入場曲が流れる大きなイベントに参戦。大勢の観客に見守れる中、培ってきたものが実り、見事連勝を飾りました。
最初から強い人より、苦しい過程を経て来た人の方が積み上げて来た確かなものがありますし、努力の価値を知っています。
まだまだだと思っていて、同僚というよりは後輩であり、あえて偉そうな言い方をさせてもらうと弟子のようだった彼が自らの力で道を切り開き、自分の道を進み始めた大きな勝利でした。
自分も勿論そうですが、彼一個人ではこれ程長い間迷い迷ってもまた続ける、向かい合うという厳しい道に進むことは難しかったと思います。その陰にはやはり一緒に暮らしてきた生徒達の存在、"先生として"という言葉が時に脇道に逃げたくなる彼の歯止めになってくれていたのだと思います。

それから、同時期に自分や他メンバーも試合を重ね、皆で禅道会の名前をフィリピン格闘技界に少しづつ名を広げてきた時、注目度が上がることで新しい悩みを抱えるようになりました。総合格闘技の大国である日本人である事での期待感、本人が考えている自分の実力以上に評価されている事へのプレッシャー、毎試合苦しい試合なのに以前のように勝っても周囲からは普通に受け止められ、一回の負けで下がる評価の差。
より厳しい道になり、海外ならではの地元判定による納得のいかない敗戦や、
強豪との凌ぎ合いによる惜しい敗北を経験。

しかし始めた頃のように試合中パニックになり何も出来なくなる事はなく、どの試合もしっかりと自分の持っている技術を使い、常に自分の試合を見せてくれていました。

試合は怖いものですし、ただの喧嘩で無く、しっかりと技術を習得したもの同士が向かい合う試し合いです。それに加え、多くの人に見られていますから、彼が感じているように負けにより心無い言葉を浴びせられる事もあります。
様々なプレッシャーからいつもの自分を見失い、練習とは全く違う動きをしてしまい敗れてしまう人を数多く見てきました。

そんな大多数の人が怖いと感じる試合において、弱い人の代表のようだった彼が堂々と自分の練習してきたもの、持ってる技術を表現する姿を見て、心が動かない訳はありません。
私森川の試合のセコンドを長らく彼に任せていましたが、直接は言いませんが最初はあくまで経験を積んでもらう為でした。しかしこの時期ぐらいから、まだまだだと思っていた男が的を射た指示を飛ばすようになり、気づけば支えてもらうようになりました。
長らく苦しい日々を過ごしてきた彼は、いつの間にか立派な格闘家になっていたのだと気付かされました。

2015年8月、遂に絶対に出る事は無いと考えてきたプロルールでの試合が決まります。
場所はマニラから1000km離れたミンダナオ島。遠すぎる為、生徒達が応援に来れず、セコンドも森川一人のみ。3000人が詰めかける完全アウェーの中で見事一本勝ちで勝利!
こんなドラマのような事って実際にあるんだな、、と感動という言葉しかなかったです。
始めた頃青白く薄気味悪かった男が大勢の観客の前で、金網に登って拳を突き上げている。
輝き始めたなんと彼はこの後試合のラウンドガールを務めていた身長差15cmの美女を副賞?として手に入れました。。(悲しい別れも直ぐに訪れてしまいましたが、、。)

この勝利を受け、国内の他プロ団体と交渉を開始。
2016年7月に前述のURCCでのデビューも決まっていたのですが、主催者側の問題で流れてしまいます。
そしてこの度2017年1月28日にカジノフィリピーノにて行われる試合でデビューが決まったのでした。この試合、去年の夏からずっと試合をするつもりで練習を積んできおり、クリスマスも、大晦日も、正月も全て返上して練習に励んできました。

人前だと自分の内面を照れて語りたがらず、いつも茶化して自虐して笑いを取ろうとする男なので、勝手に書いてもいいのか分からない事まで色々書かせてもらいましたが、
これを書いたのは、格闘技をやったから、格闘技が彼を変えた、素晴らしいのだという事が言いたいのではありません。

弱かった人が、自分の弱さを隠すのでなく、自分が弱いと自身を受け入れた上で乗り越えようと向き合い、稽古を続けて来て結果を出してきたことに大きな価値を見ています。
彼は実力だけでなく、精神的にもしっかりと成長をしてきている。
そうでなければ、彼は試合を続けていないでしょうし、あの頃のままなら試合で自分の実力が出せるまでに至らなかった無かったと思います。
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改めて書く必要も無く、心も体も本当に弱かったんです。
そこら辺にいる気の弱い、体の小さな真面目な兄ちゃんでした。女性が好きな。
そんな男がひょんな事から始めた格闘技、普通の人なら途中で辞めているだろう思いを重ねながら、奇跡的に出会いに恵まれここまでの位置に来ました。

一筋縄ではいかない仕事柄、トラブルも絶えず対応に追われ一格闘家として決まった練習を積めずリズムが狂わされる事は数えきれず、元々の体質か幾度となく体調を崩し思うようにいかない事、体格やセンスのある生徒にも押され気味で、本当に悔しい時間を過ごして来たと思います。元々の彼の心のサイズを思うと、もう嫌だと思ったことは何度あったのか想像に難しくありません。

あんまり書くべきことなのではないかもしれないですが、女性に対して弱い所があり、僕はもういいんです、格闘技に集中しますという言葉が出たと思えばいつの間にか彼女が出来、彼女との関係に頭を悩ませ、格闘技が手につかなくなる事が多々あり、、、。
てめえもういい加減にしろよと言ってしまった日もぶっちゃけてしまえばあります。そんなんやってる場合じゃないだろって、、、、

外から見ている者としては、もっと真っ直ぐ進めていればもっと強くなれたんじゃないか?これまでの時間が勿体無い、と思った時もあります。
けどスタートラインを思い返せば、全く違う世界に飛び込んでここまで様々な思いを経て、今ここにいる彼には全て必要な過程だったのかもしれない。こんな彼だから伝わる事、伝えられる事があるのだと思うようになりました。

続ければ、逃げなければ、受け入れることができれば、理想の位置までいけなくても誰でも変わることが出来る。入江先生の反省は、それを示す良い事例なのではないかと思います。
弱かった自分を乗り越え、自立支援の先生そして格闘家としての道を歩み始めた彼を是非とも応援して頂きたく筆ならぬキーを進めさせてもらった次第です。

今の生徒達は彼のスタートラインを語ってやると驚きます。
体が小さいが、普通に格闘技を頑張ってやっている先生だと思っているので、、

自分達はこの仕事を誇りに思っています。入江くんも私も大した学歴も実力も経験も無ければそれこそ生徒達に偉そうに言えないような親に心配や迷惑を掛けてしまった苦い過去を持っています。
そんな自分達でも懸命にやれば誰かの役に立つし、自分自身も成長させることが出来たんです。

そんな風に自分を成長させてきた同僚を誇りに思うとともに、
これを読んでいただいた皆様が彼を知っていただき、応援してくださればここまでキーを打ち込んできました自分も報われます。笑

皆様、長文読んでいただき有難うございました。
勝とうが負けようが、これまでにもう色々あったのですから、成長こそすれ後退することはない事を皆に伝えるべく我々は挑戦を続けます。

1月28日、入江啓光の挑戦を是非ともサポートお願い致します!!!16295710_1407174532657674_436483529_n.jpg
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日本は現在、、、

2017年01月23日

スクーリングを受けるため現在海外からたくさんの生徒たちが帰ってきました!!
過去最高に日本サイドは賑やかですね〜、、、賑やかすぎるだろう!!って言わずにはいられない程の盛り上がり
でも皆楽しそうです。スクーリング終わったら海外に帰る生徒もおり、日本は寒いので海外行きたいですと言ってる子なんかもいますね笑 まあそう言わずに日本で青春してくれい!(*^▽^*)
*写真はスクーリングを受けている生徒たちの様子*
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「冬休み終わりました」〜ボラカイ〜

2017年01月23日

基本的には寝正月でしたが、生徒の子は休み明けにもかかわらず気持ちを切り替えて今まで通りの生活をしています。指導する私の方が正月ボケしてましたね。
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皆で焼き肉!!〜ラオス〜

2017年01月23日

今週は一時帰国する生徒の為、焼肉会を開催しました!特に何かのお祝いというわけではありませんが、景気付ということで、事ある事に焼肉です。 笑 まあ皆も肉が食えて、嬉しいんじゃないかな?? 笑 そんなこんなで、今回の焼肉会もワイワイガヤガヤ楽しみました!何処に行こうが何をしようが、自分の人生からは逃げられません。他力本願にならず、しっかり自分自身に責任を持って欲しいな〜、と思いますが、まだまだ10代には難しいかな? 笑
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