自分が来て3年、お盆だからといつもは特に意識することなく過ぎていた日なのですが、今年からは日下先生の墓参りの日になりました。
フィリピンでもお盆、亡くなった方が帰ってくるという考え方があるんだな、と言うのが最初に思った事なのですが(他の人には常識かもしれませんが)、じゃあ日本と同じなのか?何をするんだ?と思いスタッフのエヴァさんや食事スタッフのアイサ、マージに聞いてみた所、
・朝または昼頃行って、夜までいる。
・テント、または日傘が必須。
・食事、間食もあった方がいい。
・暇なので遊べるものもあるとなお良い。
との事。
それじゃあまるでピクニックじゃないですか!ははは冗談を!などと会話し、言われるままに準備をし、午後皆で車に乗り墓に到着すると。


ピクニックでした。笑
写真の通り外国の映画で見る西洋式(?)の平地にプレートや墓を立てている仕様なのですが、余りに皆が俺が俺がと隙間なくテントを立てまくっているので墓が見えず、一見人気のキャンプ場みたいです。
(※日下先生の眠っていただいているこの墓地はまだまだ空きのスペースがありますがこの状態。違う墓地ではさらにギチギチに人が集まっているそうです。)
そしてそれをさらに盛り上げるように墓に飾る花、ロウソク売りの屋台。そこまでは理解が出来ますが缶ジュースや肉まんや春巻きを売る屋台も並び、おまけにチャリンコで墓を回ってアイスを売るおじさんまで、、、。自分達の持つ“墓参り感”との余りのギャップに圧倒され立ちつくす我々。
とはいえ自分もフィリピンに住んで早3年。ギャップを度々感じ、頭を悩ませながら、ある種フィリピン、海外で暮らす上で究極ともいえる結論に至った所です。
そういうもんだ。
という。笑
早速皆日下先生の墓に座り込み(流石にここは抵抗がありましたが、ここもそういうもんのようです。)、テントは用意できなかったので皆で日傘。キャンドルを付け、祈りを済ませます。そこからはキャンドルを絶やさないよう火を見る以外は会話をしたり、トランプをしたりしのんびりと、ゆったりとした時間が流れます。



一年ぶりに家族、親族の元に帰って来た魂の為に、思い出話をしたり、亡くなる前のように過ごし、とにかく傍にいる事で寂しい思いをさせないという考え方のようです。
お通夜の時も思いましたが、フィリピンの考え方で特に大事なのは人を一人にしない事のように自分は感じています。村では一人で歩いていても皆ニコニコして話しかけてくれますし(こっちが笑顔でいればですが)、言葉も満足でなく、良く分からない外国人でも直ぐに家に招いてくれたり、泣いている人、困っている人がいるとすぐ駆けつけてくれる優しいフィリピンの人々。
そんな国民性が墓一面に広がるこの風景に現れている気がしました。


日下先生もこういった考え方、人との距離感を愛していたのでしょう。
何度もギャップに苦しみながら、
「やっぱりここがお落ち着くんだよな、ここに俺の生活があるんだよ。」
ボーっと過ごしながら、3年前の夏、病気になる前日下先生が一度日本に帰国しフィリピンに戻り自分と飲んでいる時、笑いながらそう言われていた姿が目に浮かびました。
当時は駆け出しで、なんとなくそうですよねえとか話していた気がしますが、今考えるとまだその言葉が理解出来ているようで出来ていなかったと思います。
今なら何となく分かるな、、、と考えながら時間は過ぎていき、日が沈み夜を迎えるまで皆で過ごし寮へと帰宅しました。
異文化を受け入れる、という事は大変な事のように思います。
自分の、自分の国の考えが正しい!と年を重ねるにつれ思ってしまいがちなのですが、こうやって異文化に触れ、受け入れる、そういうものだ、と考えるようになる事は他の人の考え方を認めてあげる事とすごく繋がっている様に思いました。
日下先生また来年、会いましょう!

…写真は短い滞在ながら完全に順応した生徒達。
墓で麻雀。これは..と思いエヴァさんに視線送ると、
「有」
との事でした。笑
しっかり入江先生も参加しております…。
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