実例1 引きこもりK君の自立への道 後半

2006年08月28日

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 K君自身、何がきかっけでひきこもったのかは、今だに顕在化していません。しかし、空手と出会い、又、集団生活の中で、人は一人で生きているのではないことに気づき、本人なりに導き出した思いを紹介します。
K君は言います。「今、新しくはじまろうとしている事業の成功を心から祈り、私は初めて自分のことを、みなさんにお話ししたいと考えました。そして、引きこもってしまう人間の苦しみを、少しでも理解して頂けたらと思います。」と。


s-? 522.jpg< K君の作文 >

 私は、平成18年3月12日に空手道禅道会長野県本部研修寮を卒寮しました。皆さんもご存知のとおり研修寮は空手道を生活の中心にすえながら、他者と、また自らと向き合うことを学ぶため、集団生活の中で、人と人とのかかわりの、もっとも大切な部分を感じ取ろうとすることを、目的としたものであると、私は解釈しています。
 現在私は、寮から離れて、自宅から職員として本部事務局へ通勤しています。職務の後、自宅での個室で、一人でいると、個室のなかった寮での生活のことがつい数ヶ月前なのに、懐かしく感じられます。12、3年前、私は人との関係性が怖くて、じっと自分の部屋に閉じこもっていました。

 人生は不思議なものです。そんな私が集団生活の中で学んだこと、それは人への感謝の念だったのです。思春期のころ、あれほど人を恐れ、他人が怖くて怖くて、仕方がなかった私が、一人でいるより、仲間に囲まれていたほうが安心すると感じるようになっていたのです。私の心の核の部分が、がらりと大きく変わったわけではありません。
しかし、明らかに私の心の中には、他者への感謝の念が生まれたのです。私は優れた格闘技家ではありませんが、確かに実感したこのことは、明らかに私自身の、心の豊かさにつながっていると感じています。
武道はほとんどの試合がトーナメントであるため、半数のものが一回戦で姿を消します。
私は、武道は他人と向き合うことの中で、かけがえのない自己を悟っていくものだと思っています。つまり、それは負けてしまうことの中にも、意味を感じれること、むしろ負けるもののために、武道が存在するのではないかということを、人への感謝の念の中から私は学び取ることが出来ました。
 2年ほど前、武道の修行の一環として、有志でここ長野県下伊那郡高森町から諏訪市までの距離を徒歩で歩いたことがありました。長距離歩行には途中で給水したりするため、何人かのサポーターが必ず同行します。足首の硬い私は、集団からぐんぐん引き離
され、最後尾を一人で歩いていました。私はいつも一人だったので、
「 あー、また今日も一人だ。」
と、自分をさげすみながら歩いていると、私は他の仲間よりも5時間近くも遅れていて、それでも、
(何とか完歩だけはするぞ!)
と、心に決め、かたくなに歩みを進めました。しかし、そんなに遅れてしまった私にでも、最後までサポートについていただき、最初は少しかたくなだった私も、サポーターのAさんが私を見捨てずに、労を惜しまずサポートを続けてくれていることに、私のかたくなさが徐々に解けて、感謝の念が体中を駆け巡るのを感じたことを今も思い出します。

 武道の試合も運営してくれる人をはじめ、対戦相手がいなければ成立しません。私は武道の試合や集団の生活、それらを通して、人は決して一人で生きているのではないと思えるようになっていったのです。幼いころより、いつも一人でいた私にとってのこの思いは、私のこれからの人生の基本ともなるべきものだと感じています。今日この文章を書いている時、NPO法人日本武道総合格闘技連盟の首席師範である小沢先生にあることを尋ねられました。
「K君、寮生活で今から考えてみると何が一番つらかった?」
と。私は答えました。

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 寮での人間関係はけして楽しいことばかりではありませんでした。先輩方によくしかられたりしましたし。でも、私が本当に一番つらかったのは、辛さに負けて挫折し、寮を去っていく人たちを見送ることでした。そんな時、心にポッカリと穴が開いたような気持ちになったことが私にとって一番辛いことでした。私の寮生活での人間関係もけしてすべてが順調だったわけではありません。私は私なりに好きな人もいれば、嫌いな人もいます。それでも尚、たとえ嫌いな相手でも人が周りにいるほうがいい、今、私はそう思っています。
卒寮式の日、研修生一年生のころ尊敬し、あれほど怖かったY先輩がしばらく遠ざかっていたこの世界に復帰し、私のために涙を流しながら祝辞を送ってくれました。私は私の心の中の、欠けた部分が修復されていくような感覚を感じ、心が何かで満たされたのを感じました。陽のさすことの無い、暗くよどんだ、私が引きこもっていたあの部屋だけには、もう戻るまいと私は心に誓いました。
再来月、私は結婚します。すでに新しい命が、おなかの中に宿っています。私にも家族ができる、その喜びは私のようなものにとっては、ほかに例えようも無い喜びです。
しかし、私に喜びを与えてくれる新しい命も、誰かと関わって生きていかなければなりません。人と人とのかかわりの延長が社会であるとするならば、私たちは社会に向けて、自らの役割を果たさなければならないと感じています。
先日、フィリピンの、日本人対象の引きこもり・ニート等の自立支援事業の施設建設予定地に、私も視察に訪れてみました。貧しい中にも輝くような子供たちの笑顔は私にとっても大変まぶしいものでした。
運営法人である「ディヤーナ」の発足が孤独な日本の青少年たちの希望の光となることと、人と向き合うことの勇気を産み出すことになることが、今の私の願いです。
私が子供たちに伝えたいこと、それは、
「 生かされていることへの感謝 」
です。


 子供たちの未来に祈りをこめて・・・・・

周囲との関係性を自ら閉ざし、引きこもってしまった彼の心は、大きな闇に包まれ、その
闇から勇気を出した一歩を踏み出せたのは、多くの方の存在や支えがあったからこそでした。
そして彼自身が苦しみの中から、何とか自分自身を変えたいと、懸命に自身の弱さと向き合い、闘う場所として選んだのが、道場でした。
そして、それまで誰にも見せたことのなかった自分の素顔を、研修寮で生活をともに暮らす仲間達に初めて見せる中で、様々な人間と関わり、時にぶつかり合い、多くの人間に支えられ、初めて自分は、他者に生かされてきたのだということに気付いたといいます。
100km歩く旅にはいつもサポーターのみんながいてくれました。
武道の試合では、必ず自分自身をぶつける相手の存在がありました。
人は決して一人で生きているのではない。
自らの引きこもりの経験を通して、そして、今こうして、新たなる自分の人生を生きられること、何よりもこれまでの多くの出会いに感謝し、いくつもの出会いを通して関係性を築いてこれたことに、今心から感謝しています。


posted by dhyana at 16:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 青少年更生体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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