実例1 引きこもりK君の自立への道 前半

2006年08月28日

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   ●  < エピソード1 > ひきこもりK君の実例 前半
        〜小沢隆著書「武道の心理学入門」より 

 K君の両親は、父親の経済的破綻から、彼が5歳のときに離婚していて、いわゆるカギっ子として育ったものの、小・中学校と割と順調に進級し、成績も中位で、特に何の問題もなかったようでした。
ところが彼は、高校に入学してから突然引きこもるようになり、本人自身も、何故部屋から出られなくなったのか、自覚的には全くその理由がわからなかったそうです。
私が20歳を目前にした彼に初めて会った時の第一印象は、決して悪いものではありませんでしたが、プライベート話、特に家族の話になると口が重く、感情が自分の表情に出ることを極端に恐れているようでした。
しかし、コミュニケーションの甲斐あって、その後、彼は空手をはじめるようになり、次第に学校へも通うようになりました。
いつも穏やかそうに見える彼の口癖は、
「僕は幸せです。」
という言葉だったのですが、私は彼のこの言葉が、感情を露出することに対する恐れをカモフラージュするための言動だと感じていました。

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私はいつも心なしか寂しげな彼に、宮崎駿監督の大作アニメ映画「千と千尋の神隠し」に登場したキャラクターからとった『カオナシ』というあだ名をつけました。
そして、彼に感情を一度思いっきり吐き出させなければと、彼の口に毒まんじゅうを投げ込むチャンスを伺っていたのです。
180cm100kgの彼の空手の大会での試合ぶりは、余りにも消極的で、仲間達からはいつも罵声が飛ぶ有様でした。
私はそんな彼の様子を見ていて、彼が本来の自分自身の力を発揮出来るようになるためには、感情を一度思いきり吐き出させなければと感じていたのです。
そんな時彼は、偶然恋をしました。ある支部の道場開きの二次会でたまたま入った飲み屋に勤めていた、彼の母親によく似た女性に。
私は、このことが彼のコンプレックスの自覚につながり、彼にとっての毒まんじゅうになると直感しました。
しかも珍しいことに彼は、その後いつになく積極的にその店に行きたいと私に懇願したので、彼を伴い数人でその店に何度か通うことになったのです。
そして何度目かの帰り道、店を出て車に乗り込み、300メートルくらい走った辺りで、もう一人の弟子のO君との打ち合わせ通り、K君に向かって何気なく
「なんか面白くないよなあ。もう今日でこの店に来るのは終わりにしよう。」
と話しかけると、彼は急に大声で泣きはじめたのです。
私のにらんだ通り、彼は幼い頃、母親の愛情に強いフラストレーションを感じ、自分は愛されていないと感じていたのです。
その思いがコンプレックスとなり、無自覚なまま彼の意識に影響を及ぼし、思春期に入り性の目覚めの時期に、異性に愛されないかも知れない自己を自覚することを恐れました。プライドの高い彼は、その感情を他人に悟られることを無意識的に避け、「引きこもり」となったのです。
そして彼は、武道をはじめて引きこもり状態が解消された後も、常に感情の露出を恐れていました。そして彼の無意識に住む、幼い悲しみに満ちた彼は、母親を彷彿させる女性に転移することで、封じ込められていた悲しみを解き放ったのです。


 その後・・・



s-? 663.jpgs-? 517.jpg 初めて人前で感情を露わにした彼のこの状態は、実はある意味ではまだ危険な状態で、彼自身に自らのコンプレックスを自覚させる必要がありました。
このことがあってからというもの、彼は急に物事に積極的になりはじめ、アルバイトや稽古に意欲を持って取り組み、睡眠時間が4時間位でも頑張り通すようになりました。
少々具合が悪くても根を上げずに物事に取り組む彼の原動力は、あの感情を露わにした日からはじまった激しい恋心なのです。彼の恋は日増しに激しく燃え上がり、内心結婚まで考えているようで、そんな彼の様子を見ていると、正直言って心配やらおかしいやらで、まあ笑わせてくれました。別に異国の女性と結婚することが悪い訳ではありませんが、彼の恋心の真相を知る私は、彼がその彼女を本当に愛している訳ではないことを知っていたのです。
そして、彼自身が自らの恋心の真相を知ることは、今後彼が、一人の大人として自立するための一つ目の人生の岐路であり、私はこの機会に彼の無意識世界への冒険の、案内人の役割を果たさなければと思いを巡らせていたのです。
彼はすっかり私には打ち解けるようになり、行事の打ち上げ等になると、私に少し悲しそうな、すがるような表情で、
「先生、今日はお忙しいですか?打ち上げが終わったら僕と例の店に行ってくれませんか?」
と話しかけてくるので、私は内心、
「プライドの高い彼は、同世代の人間と一緒にあの店に行くのが嫌なんだな。」
と察知し、
「何!またかーお前。しょうがねーなぁ、わかったよ。」
と言葉を返し、そして再びその店へと足を運んだのです。
店内に入ると彼は、私のことなど見向きもせずに、完全に2人の世界へ入ったようで、
「この男?、人を誘ったくせに・・・」
てな感じでした。
しかし、やがて店が混んでくると、店の女性達は私たちのテーブルを離れることが多くなります。そこで私は彼に、
「K、周りをよく見てみろ。」
と言って、彼の注意を他の客の方へ向かわせました。店内には一人で飲みに来ている客もかなりいます。私は更に彼に向かって、
「なあ、お前と似たような暗そうな兄ちゃん達がいっぱいいるなあ。
 あの兄ちゃん達も自分の中では恋をしていると思ってるんだろうな。
 本当はハマってるだけなのになぁ。」
と話しかけると、彼は少し不安気な表情で、
「先生、僕もあの人たちと同じなんですか?
 あの人たち、気味が悪いんですけど・・・。」
と著しく納得のいかない様子で言うので、
「他人から見ればお前も同じに見えると思うよ。きっと劇の中の主人公になってんだろうなぁ。」
と冷めた口調で返すと、彼は何やら考え込んでいるようでした。
その後、私が彼とその店に行く時は、必ず同様の会話が交わされるようになり、日増しに彼の表情は寂しそうになり、物思いに耽ることが多くなっていったのです。
そんな中、ある日突然彼が、思い詰めた表情で私の所へやって来て、
「先生、僕を空手の研修生にして下さい!」
と言うではありませんか。どう見ても文系の彼からの意外な発言に私は驚き、
「何!お前が!?」
と聞き返すと、彼の決心は固いようで、
「押忍!お願いします。」
と答え、彼の研修生活がスタートしたのです。


最初のうちは、
「卒寮後、僕はフィリピンに行って支部を開きます。」
などと訳のわからないことを言っていて、深夜泣きながら例の彼女と携帯電話で連絡を取っていたようですが、研修寮での集団生活の日々の中で、徐々に後輩達とも積極的に関わり合いを持てるようになっていきました。
そして、そんな経過を経て、日本武道総合格闘技連盟空手道禅道会の最高峰の大会である『リアルファイティング空手道選手権大会』の予選大会に出場し、それまでどの試合に出ても、出ると負けだった彼が、何と82.5kg以下級において初優勝したのです。
表彰式で私がトロフィーを渡した時、彼は涙を必死でこらえながら、
「先生、本当にありがとうございました。」
と深々と頭を下げ、差し出した私の手を力強く握り返してきたのです。
そして、生まれて初めて自分自身に勝ったこの日の打ち上げの席で彼は、私に言いました。
「先生、僕は研修生になってから、彼女に対する想いについてずっと考え続けてきました。そして今日、気が付いたんです。僕は無意識の中で母を憎んでいました。それに気付きたくなくて、僕は彼女に強い恋心を感じていたんです。母を憎みたくなくて創った僕の劇だったんです。」
私は自分自身が母子家庭で育ったため、自分の幼い頃を思い出し、心が動くのを感じました。しかし、それを彼に悟られないように、
「もう、あの店に行かなくてすむな。」
そう笑って彼の肩を叩きました。
こうしてK君は母親への憎しみを乗り越えたのです。
このような場面の時、私はいつも、弟子達の感情を慰めるのではなく、自らと向かい合う意志を弟子達に伝達しなければならないと意を強くし、そっと自分の感情の動きを抑えるのが習慣となっています。
そして、弟子達の成長を目にする時、自分自身の心の中に、ほのかな希望の光がまたひとつ灯ることを感じることができるのです。

彼は、ようやく自分自身のコンプレックスの一部を引き上げるきっかけが出来たのです。
そして、ここからがコンプレックスに埋められてしまっている自己と出逢う彼の旅のはじまりです。彼が今後も自らと向き合うことの恐れを勇気に変え、真の武道家として成
長していってくれることを願っています。



 < 仮想現実という劇の正体 >
近年、驚異的な速度で進む情報化の波は、人間界に大きな劇を創り出そうとしています。
パソコンや携帯電話を通じたインターネットや電子メールなどは、それ自体が大きな劇の空間であり、仮想現実の世界なのです。
今や小学生が出会い系サイトを利用し、援助交際や売春行為を平気で行う時代です。
傷付きたくない症候群の青少年たちは、生身の人間同士のぶつかり合いを避け、ネット上での疑似恋愛や、顔も知らない相手との仮想友情にふけるのです。
けれど、どんなに仮想現実の中で愛情を求めようと、友情を深めようと、それ自体が劇である以上、心が満たされることは永久にありません。
街角で見かける青少年たちは、片時も携帯電話を手放すことなく、時間があればメールを打ち、電話をかけ、常に誰かとつながろうとしています。
けれど、いくらメールでやりとりをしても、それは本物の人間同士のつながりではないため、心の中ではいつも、誰といても何をしていても寂しいと感じているのです。
そして、本来の人間同士の愛情やつながりを実感したことのない青少年たちが、現代社会には増え続けています。
私たちの立つ地平には、人の数だけ違う形のコンプレックスが存在していて、ひとつひとつ違うコンプレックスに影響された心の数だけ劇があるのです。
誰もが、説明されれば理解は出来ますが、そこに生じる理解と主観の矛盾は、自らの意志を持って一枚一枚劇を構成する衣装を脱ぎ捨てて、ありまのままを見つめなければな
らないのです。
劇の中で人を愛することは出来ません。
また、武を追求することも出来ません。
劇は真実ではないのです。



posted by dhyana at 16:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 青少年更生体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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