親に連れられてきた少年1

2007年05月30日

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 小沢理事長の教育書第1弾「無意識の教育 〜キレる子供には見えざる理由がある〜より、一部を紹介!!

 〜 前編 〜

ある青年の更生が記されています。
本を読んでいない方は是非読んでください!!
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〜武道と教育・・・すべての始まり〜
○禅道会の前身「長野県支部」スタート


 中学時代に伝統空手を始め、道場には長い間、通い続けました。
やめていく者も多くいましたが、新たに入門してくる者も少なくありませんでした。中学を卒業して高校に通うもようになってからも私は空手を続けました。そして、その間にさまざまなことを考えました。
空手を私が始めたばかりの頃は、そうでもなかったのですが、後に空手ブームが訪れます。
 最初はブルース・リーの映画でした。
 日本で、そのカンフー映画が公開されたとき、既にブルース・リーは他界していました。そのこともまた衝撃的であったのだろうと思います。映画は空前の大ヒットとなり、日本の若者の間にブルース・リーが沸き起こり、同時に空手が注目され始めたのです。
 そんな中で私は、正直なところブルース・リーには、まったく興味を持てないでいました。確かに彼のアクションは派手で格好良く、人気を集める理由は理解できませんでした。
しかし、私にとって空手とは、そんなものではなかったのです。
 小学校の時に感じた死に対する恐怖が、すべての始まりでした。
でも子供ながらに、人がいつか死すことは受け入れることができました。それだけではありません。生きる上ではさまざまなことがあり、その苦難に立ち向かう必要がある、とも思っていました。空手の稽古を繰り返す中で、ずっと考えていたことです。
 高校を卒業し、神奈川県にある東海大学へと進学し、4年間を過ごした後、長野に戻りました。伝統系の道場を離れ、その間には、先に説明した直接打撃系の道場に通っていました。

 長野に戻った後には、全国組織の、ある空手団体に属し、その
後に長野支部を開設し、私は支部長となりました。20代半ばのことです。
 支部長といえば聞こえはいいですが、経済面を考えても最初から道場を構えられるはずもありません。それでも取り敢えずは皆で集まって稽古をする場所が必要です。だから、公園や小学校の体育館を借りる形で長野支部をスタートさせました。
道場生を集め、空手を基礎から教え、皆で一緒に声を出し合って
稽古をしました。この頃は、私は指導者であると同時に一選手でもありましたから、自分も強くなりたいとの思いも人一倍強かったのです。
 私が属した空手団体には全国大会がありました。
その大会には長野支部からも選手が出場することになります。必死に稽古をして大会では皆で好成績を収めたいとも思いました。しかし、いざ出場しても最初はなかなか思うような成績を残せませんでした。そのことが悔しくなかったはずはありません。
 それでも、考えてみれば、それは当然の結果だったろうと思います。
運動能力に長けたスーパーアスリートが集まっているには程遠いメンバーでした。どちらかと言えば、あまりスポーツの得意ではないものが多かったのです。
加えて、都心のように練習環境に恵まれていたわけでもありません。
借りていた小学校の体育館は天井から吊るされた電球がいつも揺
れていて薄暗かったのです。
 スタートしたばかりでした、焦ることもなかったのかもしれませんが、私は好成績を収められず負けて長野に帰ってきたことが嫌で仕方がありませんでした。どうすれば、もっと強くなれるのか、何とかしなければと焦っていました。だから弟子たちのためにも、少しでも練習環境を良くしたい、何とか自分達の専用の道場をビルの地下階であっても借りて持たねばと私は思っていました。

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○両親に連れられて稽古場に現れた高校生

 ちょうどそんな頃でした。
 一人の高校生が両親に連れられて私のしたにやって来たのです。
見覚えのある顔でした。あまり器用そうではありませんが、朴訥として真面目そうな真っ直ぐな目をしていました。
 それから遡ること3年間、公立の小学校の体育館を借りて稽古をしていた時に彼は、その日と同じように両親とともに私たちのところにやって来たのでした。
 空手に興味があるようで、両親に連れられて来たというよりは、その少年が空手が好きで、そのことを知った親が一緒に来たという感じでした。少年は両親とともに体育館の隅で熱心に稽古を稽古を見つめていました。瞳を輝かせているのがわかりました。
 稽古が佳境に入るとスパーリングが始まります。スパーリングとは、実戦形式で1対1で行う組み手のことです。
その時でした。ある選手が放ったハイキックが綺麗に決まり、それを受けた相手選手がマット上に倒れ込んだのです。しかし、それは瞬間的な出来事であり倒れた者のダメージは、それほど深いものではありません。そのことを私は、経験上、理解していましたから別段、慌てることもありませんでした。
「一撃必殺」といわれた空手のスパーリングとはいえ、そんなに綺麗なハイキックが決まることは珍しいのです。真の戦いというものは、もっと膠着したもので決して派手ありません。
 たまたま、その日のスパーリングでは鮮やかなハイキックが決まっただけのことなのです。ただ、そのシーンを見て、少年の両親は驚いたようでした。
 中学生の彼は、そのシーンに興奮し目を輝かせていました。しかし、両親は、違う思いを抱いたようです。
 (こんな危ないことを、うちの子にやらせるわけにはいかない)と。
 帰ります、と私に告げて両親は体育館の出口へ向かいました。その中学生は何度も、こちらを振り返りながら両親に手を引かれるようにして、帰っていきました。
 あの時の彼が、また私の目の前にいます。実直そうな表情も変わってはいません。
 彼の両親が私の前に来て言いました。
「高校3年生になった息子が家の中で暴れて本当に困っています。
 もう私たちの手には負えません。そちらに預けて面倒を見てもらえないでしょうか。」
 とても家の中で暴れるような子には見えませんでした。むしろ、人を脅かすような無意味な暴力を嫌悪する者のように見えました。でも親御さんの表情には切迫感が漂っていました。
 実は、それまでも、子供たちのことで親から相談を受けたことは何度もありました。
 普段は、「空手なんて野蛮」と言っている人たちも、いざ自分の子供が非行に走り、手に負えなくなると、
「空手でもやらせてみれば」となるようでした。 随分と都合がいいな、と思いながらも頼られると責任を感じたりもします。だから、そのたびにアドバイスや、時には実際に、その子供に会って話しもしました。
そんないきさつから私と一緒に空手の稽古を始めた者も少なくありません。しかし、そのような子を実際に預かり、ともに生活したことは、それまで一度もありませんでした。
 (どうしたものか・・・)
 まず、そう思って考えてました。
 正直なところ、少々、面倒なことになった・・・とも思っていたのです。
 ただ、直感的に預かって一緒に生活してみようと瞬時に決めていたことも確かでした。
 一つは、その高校生が空手を好きで仕方がないことを理解できたからです。もう一つは、両親の表情が真剣でした。それは彼らの言葉の端々から、態度から感じ取れました。これは後々に理解すりようになったことですが、子供たちを救うには親の協力がない限り難しいのです。その点、彼の親からは
「息子を更正ためには苦労は惜しまない」
という姿勢がハッキリと見えました。
 どうして家庭内で暴れるようになったのか、そのことは後から聞けばいい。取り敢えず、高校3年生の彼とともに生活し、できることならば、彼の成長に役立とうではないか、そんな風に思いました。
 私は当時、アパートを借りて暮らしていたのですが、丁度、隣の部屋が空き室になっていました。
 時を待たずして高校3年生の彼は、そこで暮らすこととなりました。

                中編へ続く・・・

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posted by dhyana at 10:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 青少年更生体験記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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